投稿者:紙屋 司

あけましておめでとうございます。
昨年はいろいろなことがありましたが、私にとりましては、仙台マスターズ倶楽部に入会させていただきましたことが一番有意義なことでした。遅くなりましたが、「自己紹介」と「会社を離れて思うこと」を投稿させていただきます。

■自己紹介
瀬戸内海に小豆島(しょうどしま)という島があります。古事記によりますと、伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の2神(兄妹の近親婚という説もあるようです)が、日本の大八州(おおやしま)につづいて10番目に「小豆島(あづきじま)」を国生みし、別名「大野手比売(おおぬでひめ)」と名付けたとあります。また日本書紀にも応神天皇が皇妃兄媛(えひみ)が吉備の国へ里帰りする際に、難波から出航する舟を高台から見送りながら瀬戸の島々を見て、「あわじしま、いやふた並ぶ、阿豆枳辞摩(あづきじま)」と詠んだと言われているそうです。その後鎌倉中期から「しょうどしま」の名前が一般化したそうです。
【実家の近くの海岸からの風景です】

・・・と、神話にも出てくる「小豆島」(香川県)出身でございますが、由緒正しい?島を離れて46年になり、大学(横浜市立大学)、会社(NEC東京→仙台→郡山→福島→仙台→大宮→東京)と勤務して、一昨年に単身赴任後14年ぶりに浦島太郎状態で仙台に帰還しました。現在64歳になります。仙台市青葉区土樋1丁目の東北学院大学・土樋キャンパスの広瀬川出口の近くのマンションに住んでおります。仙台を終の棲家としました。

NEC時代はコンピュータや通信、今で言うところのICT関係の営業を長くやっておりました。企業、自治体、病院、官庁など様々な業種のシステムを担当しました。また、勤務場所も国内がほとんどでしたが、首都圏から東北まで担当でき、子供が中学生になるまで家族帯同の異動をして、大変ではありましたが、私自身は楽しい思い出を沢山持つことができました。・・・子供達は転校がつらかったと言っておりましたが。
その後、56歳で照明事業を行う関連会社に移り、LED照明や照明制御システムの製造販売の事業を担当し、まる7年勤務しました。ICTとは全く関連がないと思っておりましたが、LEDシーリングにセンサーを付けネットワーク経由で「独居老人の見守り」を行うシステムを作ったり、LEDの波長を利用した「牡蠣の養殖を地上の水槽で行う照明制御システム」を開発したり、蛍光灯の紫外線を利用した「いちご栽培の工場システム」など、照明とICTとの連携に携わることができ、ICTの応用の広さを痛感しました。ただ、利益は出すのは大変しんどいビジネスでしたが。

■会社を離れて思うこと
あっと言う間に40年間の会社勤めが終わり、2019年の7月にフリーになりました。現役を離れ、仙台に戻り、しばらくボーとしておりました。ストレスの無い毎日が何と心地よいものかと思いました。煙草もやめ、ストレスが無いので吸いたいとも思わず、空気も旨いし、好きな本も毎日読めるし、家内からの「長年働いてきたのだからゆっくりして」という言葉を真に受けて、半年間、極楽のような生活を送っておりました。(ただ、家内はそんなことを言った覚えはないと言っております。私の希望的空耳だったのかも知れません)
現在は、情報通信研究機構の仙台のセンター(耐災害ICT研究センター)という国の研究機関で、ICT研究開発成果を社会実装する企画業務を担当しております。

毎日が日曜日だった、そんな中で、2つの事が気になりました。
一つ目は、中高年の男性の存在感の無さです。退職後、仙台メディアテークや自宅近くの東北学院大学の図書館や公共施設に通っておりましたが、来館者のほとんどが、私か、私よりも少し年上と思われる中高年の男性ばかり。要はジジイ達ですね。(表現が下品になることをご了承下さい) しかも一人きりで、元気がなく、なんとなくいるという感じ。存在感がゼロです。健康そうなのですが、知り合いもなく、やることもなく、行く場所もなく、お金のかからない図書館が最高の居場所なんですね。私も同類項なんだなと思いました。

メディアテークからの帰りにレストランに入りますと、女性が、中高年のご婦人たちがなんと多いことか。(セクハラになることは分かっていますが、書かざるを得ない気持ちなんです。ご了承願います) 昼食で3000円はすると思われるイタ飯を、ワインなんかもつけて豪快に笑いながら飲食している姿を見ますと、中高年の男性陣があまりにも可哀そうで、つい涙ぐんでしまいました。
会社時代には様々なキャリアを持たれたはずです。60歳を過ぎた年齢になっても衰えることのないスキルがあるはずです。それらを再活用をしないと社会的な損失ですし、また活用次第で地域社会の活性化につながるのではないかと思います。憎っくき中高年の女性陣に大きな顔をさせないためにも男性陣の復権が必要だと心に誓いました。

気になったことの二つ目は、少し正気に戻ってお話ししますと、ITの活用が生産性の向上や、世の中に本当に役立ったのだろうかという点です。私が勤務したNECも平成に入って間もなく、一人一台のパソコンが配置され、社内の様々な業務が電子化されました。企業も自治体も「電算化」という言葉でIT化が加速させていきました。しかしあれから30年以上経ちましたが、IT化が企業の生産性を高めたり、また、社会の仕組みを大きく改善することに本当に役立ったのだろうかと、その業界に籍をおいた者の反省として思うことがあります。
私が会社に入った1980年代の世界の企業の時価総額のトップ50社に日本企業は32社入っていました。NTT、住友銀行、日立、トヨタ、日産、三菱重工、等々。NECもありました。しかし2020年にはトヨタ1社しかありません。また名目GDPを見ると、日本は1980年の1.1兆ドルが2020年には4.9兆ドルになり約4.5倍の伸長に対して、米国は1980年の2.9兆ドルが2020年には21兆ドルで約7倍以上の伸長です。また米国は日本の2.6倍から、2020年には4.3倍と大きく差をつけています。為替相場の影響もありますので生産性の正確な比較はできませんが、米国の生産性の伸びは、やはりIT化が貢献していると思います。
一方、日本は「消えた年金」のようなシステム運用の不作為に始まり、「住基カード」は全く使われず、「マイナンバーカード」も普及せず、20年前の「e-japan」構想の焼き直しのような今回の「デジタル庁」の設置など、日本はIT化をうまく進めることが上手くないのかも知れません。もちろん、役に立っている分野も多くあります。現在私が勤務しております情報通信研究機構では、災害に強いICTの研究、特にネットワークの研究と社会実装を進めていますが、ネットワークの信頼性やレジリエンス性は世界トップクラスのインフラを日本は持っていると思います。ただ、この優れたハード面のインフラの上に新たなソフトやサービスを作り、新しいビジネスを興すことができていないのだろうと思います。

会社を離れて、現役を離れて、ある意味冷静に振り返ってみると、情報化やITが本当に社会に役立つところまで進化したのだろうかと、反省を込めて思うことがあります。自宅にパソコンが鎮座し、毎月高い使用料を払ってスマホをいじっているだけではないかと、少し自虐的ではありますが、そう思うことがあります。多分、使う側の問題なんでしょうね。

■仙台マスターズ倶楽部の活動への参加
取りとめのないない話になりましたが、中高年の男性の復権にしても、ITの真の活用に
しても、長年、社会経済を見てきた私たち、ジジイ達の経験や失敗や後悔やスキルが役立つ可能性が大いにあると思うんです。大友会長が掲げる「地域貢献・奉仕」=経験や技能を発揮し、地域活性化の役に立つ、という言葉を実践できるように、仙台マスターズ倶楽部の活動に積極的に参加していきたいと思います。
本年もよろしくお願い致します。
以上