投稿者:伊藤 弘悦

秋田県湯沢市で生まれ、会社に入って神奈川県の厚木市に住むことになりました。
転勤があるという認識がなく入社したのですが、退職するまで思いがけず8回の転勤がありました。新しい所に馴染むのは大変なことでしたが、お蔭で様々な土地で暮し得難い経験をすることが出来ました。長く住んだ順に並べてみますと、神奈川県厚木市20年 出身地湯沢市18年 白石市13年 鹿児島県霧島市7年 米テキサス・サンアントニオ市5年 熊本市3年となります。
時間は絶対で、誰にとっても等しい訳ですが、初めての体験をする時は長く感じます。
新しいことに向かうことが多いほど相対的に長生きなのではないかというのが持論です。
有難いことにどこの土地でもさほどの苦労なく、周りの方々に暖かく迎えて頂きました。
皆さんにして頂いたことを少しでもお返ししたいという気持ちから大事にしている言葉が「賓至如歸」です。
意味としては「お客様が訪れた時に我が家に帰ったように寛げる」というようなことです。
出典は春秋左氏伝で晋を訪れた時の鄭の宰相・子産(紀元前580年頃―522年)の言葉と
言われています。直木賞作家の宮城谷昌光氏の著書「子産・上下巻」の下巻から大意を
引用します。

“子産が鄭の簡公の供をして晋を訪れたのは平公の世で、平公は魯の襄公が没した為
服喪の気持ちから簡公の謁見は延び延びになってしまいます。献上の品を積んだ馬車が門外に留め置かれた為風雨に晒される状況になりました。子産は非常手段として
来客用の門のある壁を破壊します。
この行為に対し晋の大臣が詰問したときの弁明が次のようなものでした。
「凡そ80年前の文公(重耳)の時代、文公は賓客に会わずに留め置くようなことは
なく賓客と憂楽を共にし、変事があれば自ら巡察し、知らないことを教え、足らないものは援助した。客館に至った賓客はまるで我が家に帰ったように安心でゆったりした
気分になりました(賓至如歸)。現在の晋君の離宮は数里にわたる規模で立派であるのに客館は貧弱で門は狭く馬車を入れることも出来ません。献上の品を納めたら、壁は
すぐに修復致します。」 晋の大臣は子産の直言を受けて、不徳を詫び後に客館の改修をしたということです。“

私はこの言葉を2018年11月の仙台マスターズ倶楽部開所式で使わせていただきました。
そして、仙台マスターズ倶楽部の活動拠点である広瀬通ビル4Fのヴィスカリア・スペース(V-Space)に掲示しています。訪れる沢山の方に寛いで頂きたいという気持ちです。

「賓至如歸」は中国・台湾では人口に膾炙した名言で、留学生も知っていましたし無錫の
管理者の方たちもよくご存知でした。
日本では旅館やレストランでも掲げているところがあります。先ごろ亡くなられた台湾の
李登輝さんも石川県の加賀屋さんで揮毫されているのを知りました。
「加賀屋 留記 賓至如歸 李登輝 敬書」(石川県和倉温泉加賀屋)

李登輝さんとは台湾出張の折、私たちが食事していたレストランの別室でたまたま食事
されていてサインを頂いた事があります。更に李登輝さんの高著をサイン入りで頂いた事があり、宝物になっています。次の機会には新渡戸稲造氏の著した武士道についてまとめて
みたいと思いますが今回はここまでとします(莞爾)

伊藤 弘悦 1955年生まれ
秋田県湯沢市出身 湘北短期大学電子工学科 産業能率短期大学税理士科卒
好きなことは「街歩き」「旅行」「温泉探訪」、以前はテニスに親しんで
いましたが最近はスポーツジムで週3回ほど汗を流す状況