投稿者:阿部 寛

1957年7月、北海道宗谷郡猿払村生まれ、仙台市泉区在住

< 大学卒業まで >
父親が国鉄職員だったため、日本最北端の稚内市の近くの猿払村→当麻町→幌延町→上湧別町→名寄市と道北の市町村に移り住み、小学校・中学校ともに2校を経験。高校は旭川市にて下宿生活、大学は札幌にてアパート暮らし。生まれた猿払村はかつて北海道の北のはずれの寒村でしたが、住民の長年の奮闘により、今ではホタテ御殿が建ち、酪農でも有名な村となっています。また、卒業した旭川東高校は、読売巨人軍伝説の投手であるスタルヒンの母校でもあります。小・中学生のころは冬期マイナス30度以下の日が続いても平気でしたが、仙台の最近の寒さには閉口しています。

< 社会人として >
1980年4月北海道東北開発公庫(現日本政策投資銀行)に就職し、総務、営業(融資・出資)、企業審査、郵政省出向(現総務省:今や菅総理のご子息の件で騒ぎになっています)、開発企画調査、大規模プロジェクト、債権管理回収など政府系金融機関の各業務を担当しました。
この間、勤務地(通算)は東京10年、仙台4年、札幌5年を経て、2001年からは仙台在住20年となりました。
2001年に東北経済連合会への出向によりベンチャー企業支援に関わり、この時期にベンチャー企業の人材確保の面などで大友会長に助けていただき、大変有難いことに末長くご縁をいただいております。
その後は、ベンチャー企業投資・育成を行うベンチャーキャピタルに転職し、2010年12月末まで在籍しましたが、思うところあって2011年1月に、現在勤務の三陸運輸㈱に移りました。仙台塩釜港にて、港湾荷役(内航・外航船・フェリー・コンテナなど船舶の荷役作業)、倉庫、大型トラック、船舶代理店、通関など、港湾に関連した業務を担う会社です。しかし、転職の2ヵ月後の東日本大震災で会社は壊滅的な打撃を受けました。この先どうなるのか全く見通せない中、皆で立ち上がり復旧・復興して本日に至り、あっという間に10年が経過しました。

< 趣味など >
スポーツ全般、やるのも観るのも好きです。長く経験したものはスキー(北国では生活必需品)、スケート(小学校のグランドに父兄が水を撒いてリンク造り)、野球、バドミントン、サッカー、マラソン、テニス、ゴルフなど、今現在やっているのはゴルフくらいで、運動不足気味です。東京の独身寮時代は、土日のどちらか、または両日、野球かサッカーをやったとか、2007年第1回東京マラソン(フル)に参加し、その2週間後、沖縄のフルマラソンを走るなど、無茶なことをやった時期があります。
お酒は、何でも飲みます。ハイボールとかお手頃な(安い)ワインが多く、ほぼ毎日晩酌ですが、ほどほどにしているためか肝機能の数値は自分でも驚くほど問題がありません。
読書(ジャンルは問わず乱読)と映画鑑賞(同左、乱鑑賞?)も好きなことにあげられますが、最近は目の衰えで活字が読みにくくなったため読書は激減、映画は映画館ではなく、TVに録画したものかDVDを、休日に寝ころがって観ることが多くなっています。

< 最近思うこと>
現在63歳、この7月に64歳になりますので、現在の会社での勤めはあと2年程度と勝手に思っております。コロナ禍と降雪で休日は家にこもる時間が長くなっており、特に連休などがあると、現在の勤め終わった後の生き方、過ごし方について、ぼんやりと考えることがありますが、結論に至っていません。まさにマスターズ倶楽部の問題意識そのものかなと思います。
経験を活かせる場所があれば望ましいし、経験がない分野でも健康であるうちは世のため、人のため、自分のために関わっていければと思っております。

以 上