投稿者:紙屋 司

一昨年、会社を退職した後、何を血迷ったのか、家内に旅行でもしようかと誘いましたら、では、念願のパリ、スイス、ローマ、ベネチア等々と、カタカナの地名が出てきまして、私としては温泉でもと思っていたので、その意識のギャップをどう埋めるを考えた末、では、まずは今年は国内で君が行ったことのない地域を旅するのはどうだろうか、まずは夫婦旅行に慣れ、そして来年には海外という手はずでどうだろかと提案しまして、結果、九州旅行にあいなりました。
(そして、コロナ禍で当分海外旅行には行けなくなった今、
あの時、海外に行ってればよかったわと、家内はしきりに言うのです)

ということで、「九州の旅」になりました。
家内は小学生の時、2年間長崎に住んだことがあるのですが、長崎以外は行ったことがないとのことで、月並みですが、由布院、桜島、大宰府、そして博多を旅しました。
・・・昭和の修学旅行の感想文みたいになりますが、皆さん、我慢して読んで下さい。

■「大分・由布院は日本人しかいませんでした」
2019年9月は、日韓関係悪化で、普段なら韓国人の旅行客でいっぱいになる由布院も、ほとんど日本人しかいなく、タクシーの運転手さんは韓国人が恋しいと寂しがっていました。ちなみに、市町村合併で、湯布院町が「由布市」になり、駅の名前も「由布院駅」で、
温泉も「由布院温泉」で、それらがある地名は「由布市湯布院町」だそうで、ややこしい。
金鱗湖は日によって霧が漂う幻想的な湖になるそうです。お宿は露天・内湯つきの離れの部屋が多かったですね。由布院は小雨。それがとても似合う所でした。

<遠くに由布岳が見える由布院盆地>      <地底から温泉と清水が出る金鱗湖>


<露天・内湯つき離れの宿>

■「鹿児島には西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬の三人しかいないと思っていましたが」
鹿児島はどこに行っても、西郷隆盛、大久保利通、島津斉彬の三人しかいません。工事現場の看板も三人。西郷さんの銅像の写真を撮ろうとしていましたら、駐車場係のおじさんに呼び止められ、どこから来たのと聞かれたので、「仙台」と答えると、「奥羽列藩同盟の人」かと言われました。親切な方で写真を撮ってくれました。鹿児島はまだ西南戦争の戦時下なのかも知れません。

<工事現場の看板>      <西郷さん終焉の地>     <上野のお顔と違いますね>

鹿児島には、西郷、大久保、島津の三人しかいないと思っていましたら、桜島のビジターセンターの建物の前に積もった火山灰に「クレヨンしんちゃんの妹」と「リーチ・マイケル」がいました。とにかく、桜島は雄大です。

<想像以上に大きい>    <のはら ひまわり>    <リーチ・マイケル他>

■「大宰府はサラリーマンの悲哀を感じる所でした」
大宰府は7世紀後半に設置された軍事と外交を主務とする地方行政機関です。非常に重要な場所だったのでしょうが、都でしか住んだことがない人が行ったら、左遷されたと思ったのかも知れません。何やらサラリーマンの悲哀みたいなものを感じますが、私のような田舎者は、どこに行っても「都」で、どこから風が吹いても気持ちよく感じます。
(・・その当時の大宰府の地域は、衣食住にも困る生活環境だったとの研究もあるそうです)

「東風吹かば・・・」       <太宰府天満宮>     <太鼓橋三つの橋があり、
現在,過去,未来を表すそうです>

■「博多・中州は“女房”と行く所ではありません」
博多・中州の屋台はすごいですね。ラーメンも、刺身、肉もあります。現在はどうなっているの分かりませんが、今度はマスターズ倶楽部の皆さんと行ってみたいですね!
・・・リブライト社も博多に支店があるのですよね!

中州が呼んでいる    屋台には何でもあります。人も肉も。

博多でうどんを食べました。「こしがない、ふやけている、なんか味がいまいち・・・」
博多の人に叱られるかもしれませんが、讃岐出身のわたくしとしては、これを「うどん」と
呼んでほしくありません。「うどん」とは違う食べ物だと言い聞かせて飲み込みました。
どうも達成感がないので、やはり本場、豚骨ラーメンも食べました。先日、仙台にも出店した「一蘭」です。このビル全階がラーメンの席になっています。とても美味しかった!
「味集中カウンター」なるものがあり、個室にいる感覚でラーメンを食べることに集中できるそうです。発想が面白い。

博多の「うどん」はうどんじゃない(・・ごめんなさい)   一蘭本店

・・・ということで、九州の旅は無事終えました。
月並みな所ばかりでしたが、たまには旅行も良いものですね。
以上
紙屋 司