投稿者:工藤 三四郎

なぜ人間は歳を取るほど時間を短く感じてしまうのか。
この感覚は私だけでなく多くの方が実感するものではないでしょうか。
よく言われるのが、それぞれの年齢によって感じる一年の長さというのは、自分の年齢を分母にして一年を考えると、歳を取るにつれて一年の長さは相対的に短くなるという説明です。

つまり、20歳の時に感じる一年の感覚的な長さは1/20で、40歳の時に感じる長さは1/40ですから、40歳の時の一年の長さは20歳の時の倍早く一年の経過を感じてしまうという説明です。この説明に妙に納得感を感じたのを覚えています。
この感覚的な時間の違いは生物学的にも説明されていて、それによれば時間の感覚は人間が持っている体内時計に由来するというものです。
この体内時計というのは我々の体を作っている細胞の代謝速度が体内時計の秒針にあたり、この代謝の速度が年齢と共に確実に遅くなる。つまり体内時計は徐々にゆっくりと回ることになる。

するとどうなるか、体内時計の一年の感じ方は徐々に長くなっていく。
にもかかわらず、実際の物理時間はいつも同じスピードで過ぎていく。
だから自分としてはまだ一年なんて経っているとは全然思えない、自分としては半年くらい経過したかなと思った、その時は、すでにもう実際の一年が過ぎ去ってしまっている。
そして私たちは一年が過ぎる速さに愕然とすることになるというものです。

歳を取ると一年が早く過ぎるのは「分母が大きくなるから」ではなく、実際の時間の経過に、自分の生命の回転速度がついていけないからというのが生物学者の説明です。
まあ、どちらでもいいわけですが、誰にとっても年齢と共に一年が短く感じるようになるのは確かなようです。

私たちの生活に大きな影響を持つにも関わらず、私を含めて時間とは「何か」なんて当たり前すぎて一部の物理学者や哲学者を除いて真面目に考える人はほとんどいないと思います。
考えてみれば、我々を取り巻く全ての出来事は時間によって産みだされ、時間の関数によって成り立っていることに気づきます。自分が生きてきた歩みを時間で積分すればその人の人生になるのでしょう。

会社が創る価値や生産性も時間の関数です。積分すればその年度の業績です。
会社は時間という資源と他の資源を効率よく組み合わせて社会の要請に応えています。
時間をうまく使えなかった会社は退出させられてしまうということだと思います。
地球上の資源は偏在していますが、唯一時間だけが全ての人に等しく与えられた貴重な資源であることは間違いないと思います。
この貴重な資源をどう使うかはそれぞれ個人や組織に委ねられています。他人がとやかく言う話でもないと思います。

1日中ぼんやりと過ごすことに至福を感じる人がいてもいいはずです。
ただ時間に使われ、他人の時間に生きるのではなく、自分の意志で時計を回し、自分の時間を生きるように心がけて毎日を送ることが大切な気がします。
障害も多々ありますが。