投稿者:工藤 三四郎

最近、私たちが目にする文書の中でよく不透明、不確実、VUCAと言った言葉が出てきますが、今が特別不透明なわけでなく、いつの時代も一歩先に何が起こるかわからないというのが本当のところではないかと思います。
そもそも未来を予測することは可能なのか?
蓄積されたデータや科学の進展によって予測可能な部分が多少増えたとしても、私達の身近で
起こる多くの事柄は依然予想外の出来事と言っていいでしょう。
不確実性というと避けるべきものという悪いイメージがつきまといます。しかし、不確実性にはプラスの面とマイナスの面の両方があり、予想外に良いことも起こる不確実性もあります。
不確実を避けるためのもっとも簡単な方法は「何もしない」ことです。それでは生きる意味がありません。だから人はその不確実性に人生を賭ける意味があるのだと思います。
残念ながら不確実性を除去することなどできません。要は不確実性の本質をよく理解し、意識を変えどう備えて対処するかを考えることが大事なのだと思います。
私たちの身の周りで起こる不確実な事柄には2種類あります。
一つは、コインを投げて表が出るか裏が出るか、そこには法則性や規則性がなく予測できない偶然による不確実性です。
この偶然による不確実性は個々に起こる事柄は予測不能であっても、不確実な事柄を積み重ねた結果から確率的に不確実性を見積もることは可能です。実は私たちの身の回りで起きている事柄の多くは偶然によるものです。しかし、私達は偶然の存在とその影響を過小評価し、起こったできごとには必ず明確な原因があると考え、確率的に対処することを忘れてしまいます。
よくI等の出る宝くじ売り場に宝くじファンが集まる光景を見ますが、その売り場に並んだ当人の当たる確率が高くなることはないはずです。それは偶然たまたまの話です。
専門家による株価や為替の予測が素人並みというのも同じ理由です。
古くから人は元々無関係なものを無理やり関連づける傾向があり「風が吹けば桶屋が儲かる」という逸話が生まれた背景もここにあるのだと思います。このように偶然の出来事が無理やり因果関係をつくりあげることも判断と対処方法を誤る要因となります。
もう一つは、結果が原因となって、次々と結果が再生産されるフィードバックによって引き起こされる不確実性です。
これが「北京で蝶が羽ばたくとニューヨークで嵐が起こる」という逸話に繋がります。
遠くの一見無関係に起こった些細なことが結果に大きな影響を与えてしまうような不確実な事柄です。古い話になりますが、この事柄を象徴するのが1929年10月、ニューヨーク株式市場の大暴落でしょう。後に「暗黒の木曜日」として知られ、この株価暴落が世界恐慌へと連鎖し、これが第2次世界大戦の引きがねになったといわれています。
身近なところで日本のバブル崩壊も似た話と言っていいでしょう。1989年当時、東京都の土地でアメリカ全土を買うことができると言われるほど土地価格が高騰したが、融資規制をきっかけに「売りが売りを呼ぶ」展開となり一気に土地、株価が下落する。いわゆるバブル崩壊です。
日本経済はそれ以降「失われた30年」といわれ、いまだに低迷を続け今日に至っています。
フィードバックによる不確実性の怖いところは、リスクが不確実性そのものにあるのではなく
人や組織の心理の中に存在する人間固有の嫉妬や欲望、あるいは横並び意識といった人間の心理的反応よって引き起こされる点にあるということです。
皆さんにも思い当たるふしがあるかもしれません。
私もあの時、自分にもう少し冷静さと不確実に対処できる能力があればという思いをした経験を何度かしています。不確実性は恐れるのではなく正しく理解し、対処する姿勢こそが大事なのだと思います。