猛暑が続いたこの夏、暑さを凌ぐために行った場所が美術館です。宮城県美術館には暑さを凌ぐため何度か足を運び、先日は会津にある諸橋近代美術館にいって私でも名前を聞けば思い当たるダリ、シャガール、ルノワールと言った有名な画家の描いた絵を観てきました。
でどうだったの?と聞かれれば「涼しくてとても快適でした!」と答えるしかありませんが、決してアートに目覚めたわけではありません。でも美術館の空調の効いた凛とした空間は暑い夏には実にぴったりだと確信しました。
とにかく暑すぎるこの夏をどう快適に過ごすか考えた挙句、美術館が良さそうだと思い行ったのですが少しだけ良い経験にはなりました。そもそも絵の良し悪しや価値などはわかりませんし、ましてや絵を観て感動したこともありません。なんでこんな絵が高額な値がつくのかといった程度の下品な関心しか持ち合わせていませんでした。
音楽であれば聴けば人並みに感動もするし自分なりの感性で良し悪しは判断できます。あくまでも自分の尺度での判断ですが。同じアートであっても脳の感じ取る場所が時間芸術といわれる音楽と空間芸術の絵画では全く別物なのかもしれません。もともと私は空間認識能力に弱点がありそうな気もします。
涼しくなってからは美術館に出かける機会はなくなりましたが、何で同じ絵を観て感動する人がいる一方で自分のような人間がいるのかずっと気になっています。
偉大な功績を残した科学者には音楽や絵画に造詣に深い方が多いと言われています。数学で大きな発見した人に共通するのが美に対する感性に長けている点だと数学者であり作家の藤原正彦さんは言っています。
科学の分野だけでなく、ビジネスにおいても美への関心が高まり、グローバル企業各社(日本企業ではありません)が将来幹部候補と期待される人材をMBAではなく美術学校に送り込んで美意識を鍛えていると山口周さんが紹介しています。
ご存知のようにこれまでビジネスにおいては分析的な論理思考が重視されてきました。山口氏は最近の複雑な経営環境のもとでは、この様な分析・論理・理性といったサイエンス重視の意思決定での舵取りだけではうまくいかない、美意識、直感力、感性といった能力がより必要になってきたことがその背景にあるのだろうと分析しています。
これから考えると、美意識や審美眼を鍛えるのが良さそうですが、はたして美しいものに対する感性といった能力が事後的に鑑賞経験や学習によって獲得できるものかどうか分かりません。そのために学校があるということはある程度は鍛錬が可能だということなんだと思いまが、私は懐疑的です。いくら学習してもダビンチのモナリザやピカソのゲロニカを観て素晴らしい絵だと感じることはできそうもありません。みなさんはどうでしょうか?
世界の美術館を巡り絵をテーマにした本まで出している伊集院静さんによれば、良い絵は誰が描いたなどの予備知識を持たず虚心坦懐に絵の前に立ち、みつめた瞬間に観る人の感情を揺さぶると言っています。こんなことを言われてもトホホ!です。これって分かる人には分かるが分からない人には分からないと言っているようにも思います。
長く簡素化、省力化、生産性、儲かるといった超現実的な現場でしか物事を考えることのなかった人間にとって審美眼を鍛えるハードルは高そうです。
ビッグデータ・AIにより作業ではなく知識労働者の仕事も、人間より早くスマートに答えを出すような社会が既に現実のもなっています。だからこそAIなどではまだ判断が難しい美しい、心地よさといった感性に磨きをかけ美意識を高めていくことが人間の存在感を高め、私達がより良く、豊かに生きてくヒントを得ることに繋がるのかもしれません。
10月には宮城県美術館でオランダ絵画の企画展があり、これまで所蔵美術館から一度も出たことのないフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」が展示されるようですので時間があったら、足を運んで観たらいかがでしょうか、皆さん方なら何か感じるものがあるかもしれません。私も馬鹿げた動機ではなく絵から何かを感じ取ることができるか再び試してみようかと思っています(期待薄ですが)