先日の家族信託のセミナーはなんだか身につまされる話で、しかし避けては通れない身近な問題であることはわかりました。
昔は家族信託がどうのこうのと言った話を聞いたことがなかったし、このような制度そのものも存在していなかったのではないかと思います。
今の時代だからこそこのような制度が生まれた背景があるように思います。
これは私の想像ですが、生活が豊になる過程で、家族の核家族化が進み家族、親戚、ご近所との
付き合い人と人とのつながりが徐々に薄くなってしまった。
家族信託は失いつつある人と人とのつながりを補完するために必要な制度として生まれたように思うのです。
講演を聞きながら渥美清「男はつらいよ」の映画のシーンや自分が子供だった田舎の暮らしを思い出していました。
寅さんの世界には家族信託のような制度はなくてもなにも不都合はなかった。
寅さんシリーズは我々の世代なら誰でも知っていると思います。
話は毎回寅さんがお大きめのトランクに商売道具を詰めて旅に出る。
旅先で出会ったマドンナに恋をする。しかし、その恋はうまくいかず傷ついて帰ってくる。
寅さんが家に戻る度にお節介な隣近所を巻き込んでの大騒ぎが起こる。
このドタバタした心暖まる人間模様が観る人の笑いを誘うという物語です。
まず、近所同士の仕切りがありません。寅さんの家の後ろの家に住んでいるタコ社長は、なぜかいつも寅さんに家に上がり込んで一緒にご飯を食べたり、お節介を焼いては寅さんと大喧嘩をしたりする。
この映画で象徴的なシーンは、旅で傷ついて帰ってくる寅さんを妹のサクラが優しく迎え入れる。
再び旅立つ寅さんに千円札数枚をそっと渡して「いつでも戻ってきてね!」とサクラが言い、
「いつも悪いねえ!」と言って旅立つ寅さんを心配そうに見送るサクラのアップした顔です。
何回見てもいいなあ!です。
昔は寅さんに出てくるような風景は当たり前だった。
どこの家も決して豊かとは言えなくとも明るさや優しさがあったように思うのです。
私が育った田舎でも近所にボケたご老人がいても誰に言われるまでもなく、家族や隣近所の人が見守っている光景をよく見ました。
私も隣の家でご飯を食べたり風呂に入れさせてもらったりしたことをよく覚えています。
お袋からよくお前は、よそ様のご飯で育ったんだと言われたものです。
どこの家も決して豊かとはいえませんでしたがみんな足りないものを補いながらの生活があったように思います。
認知症の親がいても当時の家族関係の下では、家族信託のような制度は必要なかったのだと思います。まあ相続財産などそもそもなかったのかもしません。
私は寅さんにでてくるような家族関係やコミュニティに戻ることが良いと思っていませんし、戻るのは無理だと思います。
このような家族関係や近所付き合いに煩わしいしさを感じて家を出ていく人も多かったと思います。それしても今はあまりにも家族の関係や地域社会のつながりが弱すぎるような気がしてなりません。家族信託のような制度が生まれるのも分かります。
やれ遺言状だ、墓じまいだといった話題に溢れていますが、私は必要以上に残された人への心配なんかしなくてもいい。「なるようになるさ!」と考えています。
近くから「それだからダメなんだって」と厳しい声が飛んできそうですが。